a6718a0a.jpg来るべき産業構造の改革に向けて、まず歴史的観点から経営革命の事例を学び直そうとお話しする機会が多いが、昨日大阪を代表する研究開発型企業の代表、秋山千尋さんにお会いする機会があった。
日々業務多忙にも関わらず小生如きのために1時間以上も時間を頂戴し、大阪のベンチャー企業やモノづくり企業の育成を熱く語ってくださった。
(秋山会長は元大阪府中小企業支援センターのプロジェクトマネージャー等を歴任)

企業コンセプトに載せている一文に、以前読んだ記憶がある本(経営革命の構造 岩波新書)を思い出した。


蒸気機関の生みの親であるジェームス・ワットの成功は、友人のジョン・ウィルキンソンの協力が無ければ机上の理論で終わっていたことだろう。
ウィルキンソンが開発したシリンダーの中ぐり盤は直径約1,450mmのシリンダーをわずか1.5mmの誤差で削ることができたからだ。
当時の技術レベルではワットが要求した精度は、不可能と誰もがあきらめるような無理難題であったに違いない。
それでもなお不可能と思われることに果敢に挑んでゆく。その精神が新しい時代を切り拓いてゆくのだ。

発想は具現化して初めて発明となる。
想いを明らかにすること、それには技術力が必要だ、今も昔も・・・・・

さて、次は私たちが持っているITの知識を何と結び付けてみようか!





【子供の本から】
「ジェームス・ワット」(1736-1819)
〜ワットの蒸気機関〜
1765年のある日曜日、散歩をしていたジェームス・ワットは、新しい蒸気機関のアイデアを思いつき、さっそくアイデアを実現するための実験を開始しました。しかし、実験に必要な資金がかさんでしまい、彼は貴重な歳月(さいげつ)を資金稼(かせ)ぎに費やし、なかなか発明を完成させることができませんでした。
それから10年、苦労の末、ようやく発明の完成にこぎつけたワットは、特許を申請(しんせい)し、1775年から25年間の保護を与えられました。
特許によって豊かになった彼は、その後、研究に専念することができるようになりました。
そして、蒸気機関の性能を向上させるさまざまな発明や、ピストンの往復運動を回転運動に変換(へんかん)する発明などを、次々に完成させていったのです。
そして「ワット」の名前は、彼の功績をたたえて電力や仕事率の単位(W)となったのです。
         あとがき:久しぶりに読むと・・・おもしろいねぇ(笑)