「あはれん・よしお」
「ありはま・よしお」
阿波連兄さんは沖縄本島
「ありはま」は漢字が分からない。
調べても東浜としか出てこない。
確か阿が頭についていた記憶があるのだが?
その「ありはま・よしお」兄さんは与那国島の出身だ。
実家の近くに水産高校があった為、いろんな地方の学生を預かっていた。
小学校に入る前後の微かな記憶がある。
沖縄の兄さんたちとの思い出は、
実家の内庭で風呂にくべる薪を鉈で割っていたこと。
一緒に五右衛門ぶろに入っていたこと。
年末の早朝に餅つきをしていたこと。
風の強い日にでっかい凧をあげてくれたこと。
いつも「甘えん坊の達夫」の傍に居てくれたのが沖縄の「よしお兄さん」だった。
那覇のよしお兄さんは、私が二十歳になった際に沖縄の自宅にお邪魔させていただいた。
毎晩、国際通りに遊びに出ていてご迷惑をおかけした。
当時はまだ車が右側を走っていて、何度かオートバイで飲んだ帰りに正面衝突しそうになった(笑)
またよく滑る道でアスファルト道路ではなかった記憶がある。
与那国島のよしお兄さんとは全く連絡が取れず、この歳まで来てしまった。
時折「何してるかなぁ?お風呂で、あたま洗う際に冷水をぶっかけられるのが嫌だった」そんな記憶がよみがえる。
よしお兄さんたちは、熱い風呂が苦手でいつも冷水。
当時は井戸水だったので、夏でもスイカを冷やすような冷たい水。子供にはそれが嫌だった。
今回与那国島に来島したのは「ありはま・よしお」兄さんを探すため。
乗ったバスの運転手「喜久山」さんに「ありはま」さんって苗字は多いの?って尋ねたところから始まった。
「ありはまは、友達にもいるけど、少ないねぇ〜」と、これこれしかじかと説明したらすぐに調べてくれました。
「ありはまよしおさんは、那覇に居るよ」と。
ものの10分で調べがついた。
喜久山さんの同級生のありはまさん、彼のおじさん筋にあたるとのこと。
親戚の弟云々
今も元気!だと。。。
自分の人生を巡る旅は面白いね。
「ありはま・よしお」
阿波連兄さんは沖縄本島
「ありはま」は漢字が分からない。
調べても東浜としか出てこない。
確か阿が頭についていた記憶があるのだが?
その「ありはま・よしお」兄さんは与那国島の出身だ。
実家の近くに水産高校があった為、いろんな地方の学生を預かっていた。
小学校に入る前後の微かな記憶がある。
沖縄の兄さんたちとの思い出は、
実家の内庭で風呂にくべる薪を鉈で割っていたこと。
一緒に五右衛門ぶろに入っていたこと。
年末の早朝に餅つきをしていたこと。
風の強い日にでっかい凧をあげてくれたこと。
いつも「甘えん坊の達夫」の傍に居てくれたのが沖縄の「よしお兄さん」だった。
那覇のよしお兄さんは、私が二十歳になった際に沖縄の自宅にお邪魔させていただいた。
毎晩、国際通りに遊びに出ていてご迷惑をおかけした。
当時はまだ車が右側を走っていて、何度かオートバイで飲んだ帰りに正面衝突しそうになった(笑)
またよく滑る道でアスファルト道路ではなかった記憶がある。
与那国島のよしお兄さんとは全く連絡が取れず、この歳まで来てしまった。
時折「何してるかなぁ?お風呂で、あたま洗う際に冷水をぶっかけられるのが嫌だった」そんな記憶がよみがえる。
よしお兄さんたちは、熱い風呂が苦手でいつも冷水。
当時は井戸水だったので、夏でもスイカを冷やすような冷たい水。子供にはそれが嫌だった。
今回与那国島に来島したのは「ありはま・よしお」兄さんを探すため。
乗ったバスの運転手「喜久山」さんに「ありはま」さんって苗字は多いの?って尋ねたところから始まった。
「ありはまは、友達にもいるけど、少ないねぇ〜」と、これこれしかじかと説明したらすぐに調べてくれました。
「ありはまよしおさんは、那覇に居るよ」と。
ものの10分で調べがついた。
喜久山さんの同級生のありはまさん、彼のおじさん筋にあたるとのこと。
親戚の弟云々
今も元気!だと。。。
自分の人生を巡る旅は面白いね。