チェニス・ケロアン・トズール・スファックスと周遊し十数件のGSを見かけたが何れも価格表示は無し。表示のデジタル看板は設置してあるが電気を消してある。
現地の方に聞くと販売価格は150円が標準。闇で100円前後。
チュニジアは産油国のアルジェリアとリビアに挟まれているが自国では石油が出ない。よって輸入に頼っている。
お隣の産油国リビアでのガソリン価格は5円/1ℓ 程度。高くても10円しない。
空っぽのガソリンタンクの自家用車でリビアに入って満タンにして帰って来てペットボトルに詰め替えて販売する闇ビジネスがあるとの事。町のあちらこちらで販売してました。
ちなみに給与所得は、小学校の先生で月に6・7万程度。それじゃ暮らせないので塾や家庭教師のバイトをする方が多いとの事。
国策としては教育と福祉に6割の予算を割り当てている。
貧しい人でも最低限の屋根のあるお家と食料の配給がある。保険制度も充実。
「チュニジアの歴史」先住民はアヌズィグ(ベルベル人)
紀元前9世紀 フェニキア人の王女アリッサ(ディードー)がチュニジアへ
紀元前814年頃「カルタゴ」建国 地中海貿易で栄える
ローマとの戦争
第一次ポエン戦争 BC264〜BC241
第二次ポエン戦争 BC219〜BC201
第三次ポエン戦争 BC149〜BC146
紀元前146年 カルタゴ滅亡 チュニジアはローマ帝国の穀倉地に(アフリカ属州)
西ローマ支配〜ヴァンダル族の侵入〜東ローマ支配
661年 イスラム最初の王朝建国(ウマイヤ朝) 人々のイスラム化(アラブ化)
675年 イスラム王朝ケロアン建設完了(イスラムの聖地に)
ウマイヤ朝〜アッバース朝〜アグラブ朝〜ファテイマ朝
1050年頃より 大混乱の時代
1574年 オスマントルコの支配 現代のチュニジアの領土が確定
1881年 フランスの保護国に
1956年 フランスより独立 共和国に


現地の方に聞くと販売価格は150円が標準。闇で100円前後。
チュニジアは産油国のアルジェリアとリビアに挟まれているが自国では石油が出ない。よって輸入に頼っている。
お隣の産油国リビアでのガソリン価格は5円/1ℓ 程度。高くても10円しない。
空っぽのガソリンタンクの自家用車でリビアに入って満タンにして帰って来てペットボトルに詰め替えて販売する闇ビジネスがあるとの事。町のあちらこちらで販売してました。
ちなみに給与所得は、小学校の先生で月に6・7万程度。それじゃ暮らせないので塾や家庭教師のバイトをする方が多いとの事。
国策としては教育と福祉に6割の予算を割り当てている。
貧しい人でも最低限の屋根のあるお家と食料の配給がある。保険制度も充実。
「チュニジアの歴史」先住民はアヌズィグ(ベルベル人)
紀元前9世紀 フェニキア人の王女アリッサ(ディードー)がチュニジアへ
紀元前814年頃「カルタゴ」建国 地中海貿易で栄える
ローマとの戦争
第一次ポエン戦争 BC264〜BC241
第二次ポエン戦争 BC219〜BC201
第三次ポエン戦争 BC149〜BC146
紀元前146年 カルタゴ滅亡 チュニジアはローマ帝国の穀倉地に(アフリカ属州)
西ローマ支配〜ヴァンダル族の侵入〜東ローマ支配
661年 イスラム最初の王朝建国(ウマイヤ朝) 人々のイスラム化(アラブ化)
675年 イスラム王朝ケロアン建設完了(イスラムの聖地に)
ウマイヤ朝〜アッバース朝〜アグラブ朝〜ファテイマ朝
1050年頃より 大混乱の時代
1574年 オスマントルコの支配 現代のチュニジアの領土が確定
1881年 フランスの保護国に
1956年 フランスより独立 共和国に

