先日、奈良興福寺:中金堂再建落慶法要にお招きいただき出席してきました。
18世紀冒頭の享保大火によって焼失以来ほぼ300年ぶりの再建となった。

その行事の中で多川俊映貫主が述べていたが、明治以降の興福寺は奈良公園の一部となり、観光客の通り道であり、とても瞑想できる場所ではないと嘆いていた。

そもそも奈良ホテルや国立博物館、奈良県庁は興福寺の跡地に建設された建物だ。
廃仏毀釈や幕末から明治維新時にかけての神仏分離によって興福寺は廃寺になり広大な奈良公園と化した。
あの美し阿修羅像も金堂の片隅にごみ同然のように放置されていたという。

2018年は明治維新から150年目にあたり、「西郷どん」の放送や、幕末維新をメディアが盛んに盛り立てているが、歴史には光と影とがある。

薩摩藩の豪快な生き方ばかりが取り上げられる反面、政策の変化によって弾圧があり苦しんだ民衆もいる。
その一例が維新時に都が東京に移され、急激に人口が減少し産業が衰退してしまった京都の例がある。
復興を掛けた近代政策が実施されたが、その一つ四条大橋の鉄橋化の材料の大半は当時つぶした寺の仏具類である。

私が高校生時代を過ごした伊勢は伊勢神宮のお膝元という事もあって激しい廃仏毀釈などがあり、寺院の数が300近くから15近くにまで減らされている。
その為、全国平均に較べて古い建物の数自体が少なくなっている。

江戸時代、寺院数は9万あったとされるが、廃仏毀釈により半減した。
また仏像などの文化財も壊された。
廃仏毀釈が無ければ、日本の国宝の数は今よりも3倍以上は確実にあったと言われている。

奈良の空に蘇った中金堂を見上げ、しあわせな日本であって欲しいと強く願いました。



IMG_1778[1]



さらさらと地面を踊る落ち葉たち
【まどか】