孔子の言葉に、「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ」がある。

ソクラテスも「無知の知」という言葉で、同じようなことを言っている。
これは無知であるということを知っているという時点で、相手より優れていることなんだとの意味。

知るということは、知っていることと知らないことを「分け」ることだ。
ずいぶん昔のことだが家庭教師をしていた頃、
子供にわかったか?と尋ねると、問題がわからないと答えてくる。
そう、問題が分けられるように理解できると成長が早い。

勉強は自分が、できる問題なのか、できない問題なのかを分ける作業がまず必要。

物事は突き詰めていけば行くほど、わかる部分とわからない部分が出てくる。
この沢山のわかる・わからないが、分かる事の本質だ。

分かったつもりになってはいけない。
出来る人ほど「分からない」と認め、学ぶ姿勢を持つものだ。
今日も真剣に掘り下げてみよう。



子曰。由。誨女知之乎。知之爲知之。不知爲不知。是知也。
為政第2−17




0530
雨滲む
道の上に
登る日が
【まどか】