“Data”と“Information”は、日本語に訳してしまうと、どちらも「情報」と表現することが多い。

それならば、“Data(データ)”と“Information(インフォメーション)”の違いは何?と問うといろんな説明がされる。

データはインプット、インフォメーションはアウトプットの説明は明確で分かりやすいだろうか。
ちょっと曖昧だ。
では、データは加工されていない生の状態のもので、インフォメーションはある一定の基準や視点を使って加工して、内容をわかりやすく提供するための「情報」との説明はどうだ。
ゴメン!よく分らない。

データの説明をお米に例えて考えてみよう。
お米がデータで、ご飯はインフォメーションだ。
データは利便性には欠けるが、自分の使い勝手がいいインフォメーションに加工できる。
お米が手に入れば、米の量や研ぎ方、水加減や炊き方で、自分好みのご飯が炊き上がる。
どのようなご飯を炊くかは、自分である程度決めることができると考える。

私たちは、膨大なデータの中で溺れている。
しかし、これで情報量(データもインフォメーションも含めて)は十分だと思ったことはない。
データは沢山あるのに、何か釈然としない気分になるものだ。

もう少し、実務的に考えてみるために、“データーバンク“と“インフォメーション・システム“の言葉を引用してみよう。
“インフォメーション・システム“を動かすために“データーバンク“は無くてはならない。
でも、“インフォメーション・システム“と“データーバンク“は明らかに異なる。
真に約立つインフォメーション・システムであるためには、データバンクと同じであってはならない。

インフォーメーションシステム:炊飯器・飯盒・電子レンジ
データーバンク:米櫃or売り場のお米

炊飯器のスイッチを入れるためには、米櫃からお米を取ってこなければならない。
そのお米にお水の量をコントロールして加熱するとご飯(おかゆ他)になる。
お米とご飯は違うんだ。

良くわかった、でも炊けたご飯だけでは料理にならない。だれもご飯だけで毎日食事をしていない。
お米の視点から少しずらして、お菜や味噌汁を考えなければならない。
望むのは楽しくって美味しい食卓なんだ。

そう考えたときに、インフォーメーションとは何らかの意思決定のために必要とされる情報と定義できる。
もっと広い視点で物事を考え、データを活かすことができれば、人々の暮らしを幸せに近づけられるのではないだろうか?

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雪降り
アスファルトの上
花が咲く
【まどか】













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