2010年7月3日

朝から激しい風雨に心がざわめき、手元に残っている仕事を横において仁川を目指す。
何を思ったのか?早朝にも拘らず競馬場に足が向かっていた。
阪神競馬場に赴くのも2年振りか?

久しぶりの競馬場はユーミンの歌じゃないが「左側に見える競馬場♪」とワクワクする雰囲気を醸し出している。
雨に濡れたターフはキラキラと輝き、躍動感あふれる若駒は初夏の芝生の上を飛ぶように駆け抜けていた。
そんな楽しみの中、競馬場に旋風のようにオグリキャップの訃報が齎された。

親しみ易いネーミングと共に、レース序盤には後方に位置し、ゴール直線ではあれよあれよという間に先頭に立ち、風のようにゴール板を駆け抜ける圧倒的な走りは涙と共に記憶に蘇る。
1600Mの距離を得意とする馬ではあるが、天皇賞など重賞の距離もきっちりと鼻差で勝利を収め、騎手にして「勝手に馬が走った」と言わしめた駿馬であった。

そのオグリキャップは笠松競馬場という、日本の競馬会に於いて「地方」と呼ばれる競馬場に所属していた。
産まれた当初から病弱で、出生直後はなかなか自力で立ち上がることができず、牧場関係者が抱きかかえて初乳を飲ませたという。
当時、管理を任されていた稲葉牧場場長の稲葉不奈男は障害を抱えた仔馬が無事に成長するよう願いを込め血統名を「ハツラツ」と名づけた。

「ハツラツ」と幼名を付けられたオグリキャップは、その後大切に育てられ、地方で着実に成績を上げて中央競馬から注目をもされるようになる。
人間も同じで、田舎(地方)で幾ら良い成績を上げても都会で活躍するというのは難しい。
その難しいことをオグリキャップは全身全霊をかけて走りぬけ、勝ち続けることにより「諦めるな」と教え続けてくれた。
スタートは上手に出るのだが、レース中盤までは後方に位置し、あっ”もうダメだ!と何度思ったことだろうか。
もう無理だ!届かない!と結論を下した頭には、目の前の映像が理解が出来ない。ものすごい勢いで馬群をかき分けオグリキャップが駆け上がってくるのだ。
先頭集団の馬群がスローモーションのようにゴール前を駆け抜けるその瞬間には鼻を切ってオグリキャップがトップに居た。

地方から出てきて、何度も何度も挫折しそうな時に先頭に立つオグリキャップがいた。
確かにそこには鼻息の荒いオグリキャップがいた。

馬主が変わる、騎手が変わる、さらにはハードスケジュールで故障を発症しても走り続けたオグリキャップ。
どんな環境におかれても全力を尽くして頑張れと、わたしにエールを呉れた。

足に故障を抱え続けた一生だった。そして最後は自ずから足を滑らせての右後ろ足骨折。
走ることが命の競走馬なのに、ずーと足の故障続きだったね。
よくやった。良く走り抜けた。

オグリキャップよ安らかに眠ってください。そしてありがとう!。